【電脳の足軽①】『インターネットの歴史教科書』に載らないアスキーの雑誌初のウェブが公開されるまでの備忘録




2005年に翔泳社から『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(ぼるぼら著)という書籍が出版された。インターネット黎明期から登場した様々なウェブや出来事などを網羅した、まさに「歴史教科書」と呼ぶにふさわしいレベルの情報量だ。

その34ページに記載されている年表に、こんな一文がある。「アスキーのサーバで雑誌『NetWorks』と『LOGiN』のサイトが開設」。そう、これが、当時アスキーの雑誌のウェブサイトとしては初の開設となったのだ(月刊アスキーやスーパーアスキーなどよりも早い!)。この当時、PCホビー雑誌『LOGiN』の編集者だった筆者は、アスキーの広報部と様々なやりとりを行い雑誌として真っ先にウェブサイトを公開するというのを目標に作業を進めていた。

公開された時期は1995年の3月で、日付は今となっては記憶が忘却の彼方へと消えてしまったが、広報よりもう1誌最初にサイトの公開を目指している雑誌があると聞かされた。それが『NetWorks』だったのだが、同日に両誌とも公開という扱いになった。


▲ちなみにURLは公開後、そうそうに「http://www.ascii.co.jp/pb/login」に変更されている。

先ほど『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』という書籍について触れたが、あの1文しか載っていないのも無理はない。たぶん、日本でこの『LOGiN』のサイトが公開されるまでの裏側を詳しく知っているのは筆者のみだからだ。

時が経つにつれて記憶も曖昧になりつつ部分もあるが、なるべく覚えている範囲でこの場で記載していこうと思う。

(2018年2月9日 高島おしゃむ)

プロローグ

ここで少しばかり時計の針を昔に戻してみたいと思う。1993年夏まで、筆者はプログラマーとして銀行のトランザクションシステムなどの開発に携わっていた。その後、自宅にも帰らせてもらえないデスマーチのプロジェクトに入れられ、結果的に精神を病んで人生初の出社拒否という形で退社している(その前に辞表は提出していたのだが持たなかった)。そこからはアルバイトで食いつなぎながら就職先を探すという、つらい日々が続くことになる。

当時、求人誌のインタビューを受けた記事が残っているのだが、どうやらいくつか内定はもらっていたのだが、条件的に納得がいかず断っていたようだ。同誌に記載されているアドバイスには、そんなことよりもとっとと就職しろ的なことが書かれていたが、結果的にはその判断がその後の人生を大きく左右することになるのであった。

年が明けて翌年の1994年。求人誌で以下のような求人広告を見つけた。

正直作文は大の苦手だったため、生まれてこの方雑誌の編集者になりたいと思ったことは1度もなかったのだが、当時『EYE-COM』(週間アスキーの前身の雑誌)は愛読していたし、テレビゲームも好きだったので『ファミ通』になってもいいかと、軽い気持ちで応募した。今でも座右の銘にしているのだが、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の理論で、このアスキーに限らず当時は100社ぐらいに申し込んでいた記憶がある。

結局のところ、何かのチャンスを掴むには「無理だろうが何だろうがやってみる」しかないのだ。今この瞬間の自分の立場を作っているのは、過去に自分が行ってきた判断の結果でしかなく、「やらない」という選択肢を選んでいると何も新しいことは始まらないのである。

さて、上記の求人誌の切り抜きを見ると2月25日というメモが書かれている。たぶん、この日付で応募したのだろう。

そして、そんなのを申し込んだこともすっかり忘れていた3月中旬。1通の書類が自宅に届いていた。

それは、とっくに落ちていたかと思われていたアスキーの面接日の通知だったのだ。

そして面接当日。扉を開けると、驚愕の景色が目の前に現れた。

なんと、当時のアスキーの第2編集部の雑紙編集長がずらりと並んでいるという、1対5ぐらいの集団面接だったのだ。ここら辺もあまり記憶は定かではないが、『EYE-COM』の福岡さん、『LOGiN』の新井さん、『TECH LOGiN』(TECH Winの前身雑紙)の河野さん、『ファミ通』が浜村さんだったかは定かではないが、そのほか当時の編集人だった塩崎さんの姿もあった記憶がある。

思わず扉を閉めそうになったのだが、こうして針の筵にでも座るような気持ちで面接がスタートした。

質問:「希望雑紙はどこですか?」

自分:「EYE-COMです」

質問:「何の記事が好きなの?」

自分:「カオスだもんねとかがいいですね」

一同:「なんだっけそれ」「ああ、アレね」

……というような乾いた空気の中面接が進んでいったのだが、なぜか新井さんからやたらと「『LOGiN』では○○だけどどうなの?」的な質問がいくつか飛んできて、それに答えた記憶がある。

ちなみに当時、筆者はほとんど『LOGiN』を読んでいなかった。どちらかというと『ポプコム』派で、「円丈のドラゴンスレイヤー」が大好きだったのである。しかし、新井さんからやたらと質問が多かったのはわけがあったのだ。

そうして面接が終了。ダメだなこりゃ、と思いつつ帰宅。その後気にしていなかったのだが、なんと内定の通知が数日後に届いていた。

結果、1994年のゴールデンウィーク明けからの出社が決まった。ちなみに当時『LOGiN』では、ハードウェア関連(パソコンとその周辺機器など)に詳しい人物を募集していたらしく筆者が選ばれたのだが、実際のところただのプログラマーというだけだったので特別に詳しいわけではなかった。なにより、そうして編集者生活がスタートしていくのである。

ホームページが簡単に作れることを知ったのは意外な人物がきっかけだった

その年の10月にトーシンビルから高山ビルへと編集部が引っ越し。そして年末あたりに、隣の席に座っていた宮澤が何かを調べていた。それは「HTML」というもので、ホームページを作ることができるのだという。彼は一見地味でおとなしめのタイプなのだが、なぜかこうしたアンテナは誰よりも早かったのだ。

それで調べてみると、意外と簡単にホームページというものが作れることがわかった。

ちなみに当時はまだインターネットは普及しておらず、パソコン通信が主流の時代だ。社内でもインターネットが使えるのは一部のみだったが(コーポレートサイトが公開されている程度)、なんとか頼み込んで編集部内でも利用してもらえるようになったのだ。そうして、当時の編集長だった新井さんの許可を得て『LOGiN』のホームページ作りが始まったのである。

インターネットに関する情報がとにかく何もなく、そもそもインターネットがないので探すこともできなかったこの時代。ホームページを作り始める上で、バイブルとなったのが当時インプレスから創刊したばかりの『iNTERNET magazine』だった。その2号だかにタグのリファレンスなどがおまけで付属しており、かなり重宝した記憶がある。

こうして、先ほどの1995年3月に、アスキーの雑紙としては初となる『LOGiN』のサイトは公開されることになるのである。

時代と共に移り変わっていくウェブ遍歴

ここになぜか『DOS/V POWER REPORT』のラベルが貼られた古いフロッピーディスクがある。たぶん、これが現存する『LOGiN』のホームページの最も古いデータが保存されているものだ。2月10日バージョンということで、ちょうど公開に向けていろいろと作り始めた頃のものであると思われる。



▲タイプスタンプが少しおかしい気がするが、理由は不明。

公開時のコンテンツがどうだったかは覚えていないが、オープン当時はこれに近いものであったと思う。

今でこそ、雑紙のサイトを起ち上げるとなると一大プロジェクトとなるが、この頃はそもそもインターネット利用者はほとんどおらず、かなり牧歌的な雰囲気だった。どちらかというと、パソコン通信よりも閉じられた狭いコミュニティという感じだったのである。そのためURLや@マークを付けたメールアドレスの表記も珍しく、それをTシャツなどに印刷していると「おっ、やるじゃん!」と思わせるような時代だった。

インターネットそのものが、ある種のアングラコンテンツだったのかもしれない。この年からベッコウアメやRIMネットといった一般向けプロバイダーが登場し、徐々にネット人口も増えていくことになる。サイト自体はアスキーを辞めることになる1999年まで作り続けたのだが、雑紙とは異なりかなり自由にやらせてもらうことができた。


▲1995年9月ごろのバージョン

先ほど「牧歌的な雰囲気」と書いたが、今ではあり得ないような記載もしていた。会社のサーバということもありCGI等は一切使えなかったため、基本的にすべて手動で作っていたのだが、そのうちのひとつがユーザーから届いたおたより(メール)を紹介するコーナーだ。

そのメッセージを、メールアドレスも含めて掲載していたのである。先ほども述べたように、そもそもインターネットユーザーが少なく、どちらかというと宣伝的なニュアンスにもなるという形でそうなっていた。今こんなコンテンツがあったら大騒動になってしまうが、そうしたギスギス感はあの頃のネットにはほとんどなかったのである。

やや話が横道にそれるが、この時期メインの雑紙とは別にCD-ROMが付属したムックの『CDログイン』と、本誌からアダルトゲームだけを分別した姉妹紙の制作作業が重なっていた。姉妹紙の方はその後『E-LOGiN』と名付けられるのだが、当時冗談で「CDログインの次だからEログインでいいんじゃない? エログインとも読めるし」と冗談でいってたのが、本当にそう名付けられて驚いた記憶がある。

まぁ、誰でも思いつくレベルのためそれがきかっけだったわけではないかもしれない。

さて、先ほどの『CDログイン』には、ウェブサイトの簡易版が収録されている。デザインはその当時のものを少し改変して作っていたので、1995年12月頃のデザインはこんな感じのサイトだったようだ。


▲『CDログイン』に収録されたバージョン。タイムスタンプは1995年12月13日となっている。

▲1997年4月18日頃のバージョン。サイトの名前が『WEB LOGIN』に変わっているが、もちろん筆者が勝手にそう名付けたものだ。

▲時期不明。下記とロゴが異なる。

▲1997年7月頃のバージョン。個人的にはこれが最終形に。

ボツバージョン

表に出たものもあれば、出なかったものもあり。ということで、こちらはボツになったテストバージョン。


▲1997年5月頃のもの。このバージョンを公開した記憶はないため、たぶんボツバージョン。

▲1999年3月頃?のたぶんボツバージョン。

 

さて、【電脳の足軽①】はここで終わり。【電脳の足軽②】では、アスキー在籍時になぜか印象的だった出来事のキーワード「スクウェアが乗っ取ろうとしている!」&「孫(正義)さんが白馬の王子様に見えた」by 西和彦の予定!?




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