【ファミコンレビュー100本ノック】006『ギャラクシアン』




『スペースインベーダー』から幕を開けた、日本のアーケードゲームの歴史。それに続くゲームとして、ナムコ(現現バンダイナムコアミューズメント)が開発したのが、シューティングゲームの『ギャラクシアン』でした。当然のごとく大ヒットした本作ですが、ファミコンへ移植されたのは1984年9月7日。この時点で5年の歳月が流れており、当時としても目新しいタイトルとはいえない状況でしたが、なによりもハドソンに続くサードパーティ製ゲームとして発売されたのが大きなポイントといえるのかもしれません。

『ゲームセンターあらし』をバイブルにゲームに熱中した当時の小学生たち

さて、ファミコンというよりアーケード版の話になるのですが(ゲーム自体はほぼ同じため)、筆者が初めてこのゲームを体験したのは田舎(石川県)の喫茶店でした。よく従兄弟に連れて行ってもらったのですが、なぜかそこの喫茶店は行くたびに新しいゲーム筐体が導入されていたのです。

キラキラ星のように流れる美しいグラフィックに、かなり夢中になった記憶があります。

1979年当時は、まだゲーム雑誌などいうものは存在せず、もっぱら最新ゲーム(といってもアーケードゲーム)の情報を得るのは『コロコロコミック』に連載されていた『ゲームセンターあらし』でした。

ゲームセンターあらし (1)
Posted with Amakuri at 2018.7.16
すがや みつる
太田出版

漫画としても面白かったのですが、ちょっとした攻略情報なども書かれており、そうした部分も含めてゲーム好き小学生たちのバイブルとなっていたのかもしれません。ゲーム系の漫画はその後多数登場しますが未だにこの作品が取り上げられる背景には、漫画としてのおもしろさ以上の価値が当時はあったからだと思います。

■関連リンク:ゲームセンターあらし第8話「ケツのあなをしめろっ! 高得点を出すまではっ!」 – KAI-YOU.net

『ギャラクシアン』の衝撃がその後の『ドンキーコング』誕生に繋がる?

この『ギャラクシアン』に衝撃を受けたのは、当時のゲーマーだけではありませんでした。後にファミコンを開発することになる上村雅之氏のグループも本作を見てショックを受けたそうです。『ギャラクシアン』の背景に流れる星の部分には、アタリが特許を出願していた「スプライト方式」という画像技術が使われていました。イメージとしては、アニメのセル画を重ね合わせて表示する方法に近いといえばわかりやすでしょうか?

その「ギャラクシアン・ショック」から任天堂が開発したアーケードゲームが『レーダースコープ』というゲームでしたが、価格が約100万円と高すぎたこともありまったく売れず。仕方なく、同じハードウェアを流用して約3ヵ月で『ドンキーコング』を作ったと言われています。

『ドンキーコング』に使われた回路をIC化することで、家庭用ゲーム機が作れるというアイデアからファミコンの開発が始まっていったそうなので、このあたりの各ゲームの繋がりはなんとなく面白いですね!

text.レトロゲームライター 高島おしゃむ




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